| 邪馬台国(やまたいこく/やまとのくに)は、2世紀~3世紀に日本列島に存在したとされる国(くに)のひとつ。邪馬台国は倭女王卑弥呼の宮室があった女王国であり、倭国連合(邪馬台国連合)の都があったとされている。古くから大和国(やまとこく)の音訳として認知されていたが、江戸時代に新井白石が通詞今村英生の発音する当時の中国語に基づき音読した 79キロバイト (14,628 語) - 2022年2月26日 (土) 20:33 |
https://mainichi.jp/articles/20220226/ddm/015/070/028000c
■物証の推理から浮かぶ生々しさ
掲題書は、3世紀の邪馬台国から、6世紀の欽明大王までを取り扱う、古代倭国(日本)の通史だ。
著者の坂(ばん)氏は、奈良県立橿原考古学研究所に勤務し、数々の遺跡を発掘しつつ研究を重ねてきた。
坂氏は、関東から北部九州、そして朝鮮半島南部に及ぶ主要な遺跡(古墳や集落跡など)の、位置や規模や出土品から、
そこに存在した権力の、年代と勢力範囲を推理する。
そしてその理解を、日本・中国・朝鮮半島の史書の記述と突き合わせる。
他の多くの史書が、時代を下った8世紀に編纂(へんさん)された日本書紀の、天武朝の正統性強調を意図した記述の解釈にばかり深入りしがちなのとは、真逆のアプローチだ。
この本の分析に類書にない納得感がある理由だろう。
第一章で著者は、邪馬台国の勢力圏は北部九州限定だったと推測する。
魏志倭人伝にある卑弥呼の勢力圏は29カ国であり、近畿から北部九州までの広い領域に対応するものではないと。
現在の対馬、壱岐、唐津、糸島、福岡がそれぞれ一つの国に数えられていたことからしても、しごくまっとうな地理感覚に立った議論だ。
※無料部分ここまで
>>1
纏向を発掘した人もそう言ってるし間違いないだろうな
心ある研究者はゴッドハンダー畿内の圧力に負けず九州だと思っている
727 :名無しさん@1周年 :2020/03/27(金) 02:47:37.02 ID:wEfaFCG90
>>721
纏向を発掘した当事者である関川氏も畿内は違うと仰っている
考古学の立場からみた「邪馬台国大和説」への疑問 奈良県・纒向遺跡出土の大型建物について
http://yamataikokunokai.com/katudou/kiroku335.htm
> 1.考古学の立場からみた「邪馬台国大和説」への疑問 (関川尚功先生)
> ・出土品と大陸系遺物の存在
> これまで副葬品を伴う例は古墳時代初頭の壷棺のみです。ただし中期には壷や高坏を供献した例がある。
> 大陸系の遺物はまったく出ていない。九州の弥生遺跡と比べると副葬品が少ない。
> (2)纒向遺跡の実態
> ・大陸系遺物の出土量とその比較【対外交流のあとはみられるか】
> 断面が三角形の特徴的な木鏃で、儀礼用と推定される。3・4世紀の日本ではめずらしい。朝鮮半島南部の
> 大成洞古墳群に副葬されているような骨鏃がモデルと思われる。纒向からは10本以上がみつかつている。
> 木鏃や土器から、朝鮮南部とのつながりがあったことが分かるが、楽浪郡あたりとの関係がないようだ。
> 大陸系の土器が出てこない。
> 纒向は大陸との交易が終わった邪馬台国時代以後の遺跡ではないか。
> 九州では博多湾での交易が古墳時代の前期まで続いている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E5%B7%9D%E5%B0%9A%E5%8A%9F
> 関川 尚功(せきがわ ひさよし)は日本の考古学者。橿原考古学研究所の所員として纒向遺跡の発掘調査に携わり、
> 石野博信とともに報告書『纒向』を著した。
> 概略
> 1971年(昭和46年)から奈良県立橿原考古学研究所の所員として奈良県桜井市の纒向遺跡の調査に携わった。
> 石野博信とともに報告書『纒向』(1976年)を著したが、とくに外部から搬入された土器の分析と整理は関川がおこない、
> 古墳時代の考古学的な研究において、きわめて重要で画期的な資料となった。
>>1
普通に考えて北部九州しかありえんやろ
他の地域訴えるやつはただの冷やかし
有名になりたいだけの馬鹿
>>1
およ?
橿原研なのにクーデターか??
ロシアみたく、戦争する気かよ
>>1
まあ、普通に考えても福岡辺りが古代から日本で最初に栄えていただろうぐらいの事は想像できる
>>1
奈良県の「ナラ」も
飛鳥の「アスカ」も
若狭湾の「ワカサ」も
朝鮮語ではありません
ペテン師に欺されないように警戒してください。
>>59
そういういい加減なことをいう人が多くて嫌になるよね。
歴史を政治や思想で考える人たちなのだろうけど。
アスカ、ワカサの語源はわからないけどナラは均すが語源だね。
奈良橋は丸太を架けたの橋に歩きやすいように土をかけて均した橋。
工藤会の起源?
邪馬台幻想記
だから前から言ってるが
箔つけにヤマト王朝を騙った地方の豪族が金印貰っただけだって
九州だろ
日本書紀なんか見てどうする
鉄器の出土量を見れば一目瞭然
当時の鉄は今で言うとアルミや銅かな
魏志韓伝には、倭人が半島まで鉄を取りに来て市場で貨幣として使っていたと書いてある
ところでなんで「九州北部」ではなくて「北部九州」とわざわざ倒置するんだろうか。
だいたい、「北部九州」だと「北九州」市と紛らわしすぎる。
>>17
熊襲の鹿児島と宮崎山間部を除く、九州全域だからだよ
旧国名で言えば、筑紫、肥前、肥後、豊前、豊後の全域
>>17
邪馬、熊襲、隼人、狗奴とか群雄割拠してて
九州の上半分じゃなく、九州の一部だけしか領地を持ってなかったからじゃね?
邪馬台国と日本は別の国ってことだな
今の日本は大和王朝の系譜だから
>>20
邪馬台国東遷説もある。
俺はそっち派。
で九州に残った勢力が磐井かと。
>>23
それは無理筋だろ
戻らなかった意味が無いし、貿易としても中国や百済に近い方が良かったのでは?
>>30
まあただの空想だけど、
邪馬台国の王族の一人が狗奴国征伐に成功して狗奴国王になり、
その勢いで東征して奈良に入ってそこにあった王権を滅ぼすか乗っ取るかして大王位についたと。
で本家のほうは次第に勢力を失って分家が本家になったと。
>>39
その痕跡は九州北部のどこにある?
奈良には古代の痕跡がそこかしこに残っている
九州に巨大勢力が存在したなら、それがないとおかしい
>>44
巨大勢力というほどでもないかもしれないけれど、そこそこの遺跡はあるでしょ。
だいたい有史以降の天皇の権力は実態のある権力というよりも権威だから、
それ以前もそうだったのかと思う。
邪馬台国王、狗奴国王、出雲の王、大和の王あたりは特別の権威だったのかと。
>>20
同意だな
無理に統一する必要はないと思う
最近どんどん畿内説の嘘が暴かれてきてるからな
泥舟から降りたい人も多かろう
畿内説の希望だった箸墓古墳も卑弥呼より後の時代だと分かってしまったし畿内説には絶望しかない
nihonkodaishi.net/info-research/ronbun-pdf/koseikyokusen.pdf
> INTCAL20 によって、箸墓築造が
> 従来通説の4世紀前半に戻ったことを意味する。
>>25
まるで、旧石器時代の捏造事件だな
あの時も、出土品の年代が明らかにおかしかったのに、学会を上げて旧石器時代のものだと断定して、異論を弾圧してた
妥当な結論だと思う。
当時の機内は巨大な湖だらけで今とは全然地形が違う。
それなりの勢力は有ったと思うが九州を勢力下に収めるのは無理と思う。
>>33
ではなぜ一切の痕跡を残さず邪馬台国は消滅したんだ?
畿内は大和王朝があるぞ
天皇と名乗ったのは後からだから、天皇じゃなくて大王と呼べって歴史学の連中もバカらしいんだよなあ
それいっちゃうと欽明天皇の欽明も後世の名付けだから使えなくなるだろに
>>40
宮崎市定の天王説は面白かった。
当時の海岸線的に
畿内なんか海と湖だろ
九州説しか無理
>>43
奈良に海なんてない盆地
吉野川や大和川など、大きな川は豊富
倭国と日本国は本当に別なんだろ?!
>>50
倭国=日本
でも邪馬台国≠倭国
物証から推測って要はどういうこと?











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